絵とシニフィエAli Hassanの’Track and Signal’を見た。 絵を見るときどきで 受けとめ方が異なる、という思いはすでにあったのだが...。 彼の絵に描かれたArabic alphabetは 春にテキストを開いたきりの私にとっては 表音文字でも表意文字でもなく ただただ曲線と直線と点と面としてしか受けとめることが出来なかった。 すごく遠くから絵を見ているような気分。 ある題の作品に流れ落ちている文字が その表題に沿った意味 通奏低音となるシニフィエを持つのかどうか その作品の神秘に深く降りていくだけのアラビア語の知識を持ち合わせていないので 表面的な印象とシニフィアンしか受けとめられなかったのがちょっと心残り。 普遍的な表現の水底で光る小石/シニフィエはまだ1つも掬えなかった。 それは、牧渓の絵だったか、猿が水に映る月を掬おうとしている姿と重なる。 朝の光と蝋燭の灯で見た時の違い、 近づいて仔細に視る時と 遠くから俯瞰する時の理解の差。 この展覧で、絵を見るシニフィアンとシニフィエの温度差を体感した気がする。 Kandinskyの絵のようにアラビア文字が鏤められた作品は来ていなかった。 展覧のタイトル通り軌跡が見る人への信号になっている。 輝き方は千差万別でどのBlinkを受けとめるかは受容体しだい、と言っているようだった。 Copyright 2003-2009 Dalnara, confuoco All rights reserved. |